DEAR 。。Holy Spiritさんへ

奇跡のコース〜A Course In Miraclesを学んでいるブログです。

レッスン349 0703

Dear聖霊さん

レッスン349

今日、私はキリストのヴィジョンに私に代わってすべてのものを見させ、それらを価値判断せずに、それぞれに愛の奇跡を与えます。

Today I let Christ’s vision look upon
All things for me and judge them not, but give
Each one a miracle of love instead.

 

ーーーーーー

『…父よ、あなたの贈り物は私の贈り物です。

私が受け容れる贈り物の一つ一つが与えるべき奇跡を私に与えてくれます。

そして、私が受け取るのと同じように与えることによって、私はあなたの癒しの奇跡が私に属することを学びます。…』

 

 

本当は私たちは、それぞれが別になっているわけではなく、ひとつとしての存在。

バラバラになっているわけではなく、繋がっている。

分かれたこともなく、今も変わりなく

神の子として神と共にいる。。。

 

という一元論的な真実の世界には、

奇跡は必要はない。とのこと。

けれど、今ここで幻のワールドにオンラインゲームのごとく在るとしている状況では、

「奇跡」は真実への手段にもなる。

 

本当はひとつなら、私に見えている目の前の方に差し出す愛は、私にも同時にひろがっていく。

奇跡を差し出したなら、私にも奇跡がある。

そして、奇跡は私が行うのではなく、聖霊が行う。

私はそれを聖霊に祈るだけ。

信頼するだけを

そして、聖霊は依頼を断ることはなく、完全な状態をそこに現す。

なぜなら、それが本来の状態だから。

 

奇跡に難しさの序列はない。

幻を否定し、真実へと通り抜けること。

私(たち)が、

こんなことに奇跡は起こらない、あるはずがない、これに、奇跡は必要ない、、と価値判断してしまっているだけで、いつでも本来の場所、本当の姿に戻っていいんだった。

そして

神は聖霊は、愛のみの存在であり、私たちの真の姿も愛のみ、だそう。

このレッスンを通じて、そのことを思い出す機会をもたせてくれます。

 

「奇跡は訂正。」と解説にあった。

奇跡を、特別な特殊なものと価値判断をすることなく、赦しを通じて、誤って信じてしまったこと、概念に気づきたい。

本当に実在するものなのか、

本当はないものなのか。

苦しみたいのか、手放したいのか。

それは私が私を「どんな存在」とみているのかを。

 

そして、ひとりで価値判断を決めることなく、自分では(神の計画がどうなることが本当か)わからないということを、認めて、聖霊とともに見つめていきます。

いつもありがとうございます。