DEAR 。。Holy Spiritさんへ

奇跡のコース〜A Course In Miraclesを学んでいるブログです。

レッスン355 0709

Dear聖霊さん

レッスン355

私が神の言葉を受け容れる時、
私が与えるすべての安らぎ、

喜び、奇跡に終わりはありません。
今日それをしない理由などあるでしょうか。

There is no end to all the peace and joy,
And all the miracles that I will give,
When I accept God’s Word. Why not today?

ーーーーーー

このレッスンはとても優しい言葉。

なのに、覚悟や決心というクリアな感覚。

 

本当に、「それをしない理由」なんて本当はないのに、まだ私は扉の向こうに行く覚悟ができていなくて。

 

それで奇跡のコースのテキストやマニュアル、ワークブックの中のフレーズを使ったカードを引いてみた。

 

とても的確なものだった。

 

『…自我がなければすべてが混沌となる
だろうと信じているからである』

 

という箇所の文章だった。

聖霊さんはガイドしてくださっている。

けれどまだ、私は自我を欲しているようだ。。

混沌となるーーー大変なことになる。。みたいな漠然としたものなのだろうか。

思い出せてないから、忘れてしまったから、

自我がない状態という素晴らしさを恐れているみたい。

イメージもわかないような。

まだ、「自分が」わかる世界観、「自分で管理」できる範囲ということを保持しているのかも。

 

けれど、聖霊さんの見せてくれたカードには

続きがある。

 

『だが私はあなたに自我がなければすべてが愛になる、と保証する』

 

全てが愛になる。。。

それはとても心地よい世界。

 

恐れを手放せますように。。

 

私はガイドを選びます。

聖霊さん、ありがとうございます

 

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レッスン354 0708

Dear聖霊さん

レッスン354

キリストと私は、安らぎと目的の確実性の中で一緒に立っています。
そしてキリストの創造主が私の中にいるのと同じようにキリストの中に「キリストの創造主」がいます。

We stand together, Christ and I, in peace
And certainty of purpose.

And in Him
Is His Creator, as He is in me.

ーーーーーー

 イメージしやすいようなレッスンのフレーズだと感じる。

私の中にいるーーというのは、この肉体の中ではなくて、「わたし」というホントウの存在であるところになる。

 

でも今、この夢の中にいる、と思って感じている状態の時には、目を瞑ってある、「わたし」と感じるところ、、、かな。

そして、そのキリストの中に「キリストの創造主」がおられる。

 

外にはいない。

この世界の物体でもなく、何らかの団体でもなく、形というものにはなりようもないもの。

 

本当は「外」というものもないのだろうけれども。

 

「私とは何でしょうか?」が今の10日間テーマ。

とことん、「私とは?」と振り返りながらひとつひとつの選択をしたいです。

 

ありがとうございます

 

14.私とは何でしょうか。|『奇跡のコース』ワークブック 365日

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レッスン353 0707

Dear聖霊さん

レッスン353

今日、私の目、私の舌、私の手、私の足にはただ一つの目的しかありません。
その目的とは奇跡でこの世界を祝福するためにキリストに委ねて活用してもらうということです。

My eyes, my tongue, my hands, my feet today
Have but one purpose; to be given Christ
To use to bless the world with miracles.

 

ーーーーーー

 この351からは、レッスンの主題が長くなっている。

360からは最終課題に入るため、この10日間が最後のテーマ。

それが「私とは?」

 

そんなことは今まで、さほど考えてこなくても生きてこれたけれど、奇跡のコースを学び始めると、

「生きてきた」ということにも、「あれ?でもそれってどういうこと?」となる。

そして、「私」さえも。

 

肉体も私(たち)の概念によって創り出されたなんて、思ってもみなかった。

そしてそういえば、今まで「当然」「一般常識」みたいに思ってきたものも、誰かから聞いたり、見たりして、「私」がそれを認めたからにほかならない。

 

この10日間テーマの「私とは?」で、本当はどの思考をする存在が私なのかを思い出させてくれる。

 

この日のレッスンでは、「私の目的」が書いてある。

レッスン353 今日、私の目、私の舌、私の手、私の足にはただ一つの目的しかありません。・・・|『奇跡のコース』ワークブック 365日

(祈りの言葉としてもステキだなー)

 

安心できるのは、私ひとりでしなければならないことでは、ないこと。

最高のガイドとともに、道を案内されてオッケーなこと。

受け入れることに手間取っていた私だけれど、

今は、本当に聖霊のガイドと信頼がありがたいです。

感謝をこめて

 

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レッスン352 0706

Dear聖霊さん

レッスン352

価値判断と愛は正反対のものです。
そのうちの一つから

この世界のあらゆる悲しみが生まれます。

もう一つから

神ご自身の安らぎが生まれます。

Judgment and love are opposites. From one
Come all the sorrows of the world. But from
The other comes the peace of God Himself.

ーーーーーー

この日も対比で選択を促してくださるレッスン。

価値判断。

これをしなくていいと、奇跡のコースで知って、最初はとまどった。

けれどもレッスンを重ねるうちに、自分で判断することの危うさ、過ちを教えて頂いて、一旦、立ち止まることを学ばせて頂いた。

そう、立ち止まって選ぶこと、をする。

何故か焦って、何故かそんな時間も取らずに、自動的に選択していた。

 

コースでは選択してから、ーー聖霊を思い出して、委ねてからーー行うことをいう。

 

この日のレッスンでは

選んだほうによって結果が違うことを思い出すように、簡潔にまとめてくれている。

 

私たちは素早く判断し、それに対して対応しなければ、となっている。

価値判断し、それを「こうだ」と処理ーー裁くーー

して見ていることも多い。

 

このレッスンはそれを丁寧にしていく。

訂正するーーそれは奇跡。

 

『…価値判断は私の目を束縛し、私を盲目にします。しかしながら、ゆるしの中でここに反映されている愛は、「あなた」の安らぎを再発見するための方法を「あなた」が私に下さったことを私に思い出させてくれます。この道に従っていく選択をした時、私は救われます。…』

 

価値判断しなくていい。

何て楽なんだろう。。。

赦しを通して神の平安が訪れる。。。

 

ひとつひとつを

「私とは何か」を思い出せますように

 

本当に楽になります。

ありがとうございます

 

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レッスン351 0705

Dear聖霊さん

レッスン351

私の罪のない兄弟が安らぎへと私を導くガイドです。
私の罪深い兄弟は苦痛へと私を導くガイドです。
そして、どちらを見る選択をするかを私は見つめます。

My sinless brother is my guide to peace.
My sinful brother is my guide to pain.
And which I choose to see I will behold.

ーーーーーー

 この日から最終課題のひとつ前、

「私とは何でしょうか?」がテーマの10日間となる。

14.私とは何でしょうか。|『奇跡のコース』ワークブック 365日

 

つまり最後の10日間テーマ。。。

いよいよかぁ。

もう351まで来たんだ。

聖霊さんお導きありがとうございます。

 

【私とは何でしょうか 】より

『私は「神の子」であり、

完全で、癒されており、全体的で、

神の愛を反映して輝いています。

私において神の創造物は神聖化され、

永遠の生命を保証されます。

私において愛は完璧なものにされ、

怖れは不可能になり、

喜びが正反対のものがないもの

として確立されます。

私は神ご自身の神聖な家です。

私は神の愛が住む「天国」です。

私は神の神聖な

「無罪性そのもの」です。

というのは、

私の純粋性の中に

神ご自身の純粋性があるからです。』

 

まずは本来の私がビシッと書いてある。

「神の子」であると。

それからこの文章の後には、このワークを通して1年を通して、どうなっているのかを書いてくださっている。

 

「私」とは本来何か。

これはとても大切な、常に思い出せるように振り返っていたいところ。

ここを間違えて、あれこれと目の前に現してしまっているのか、この夢の中。。

 

「私たちの目的は、、」とも書いてくれている。

 

 

そしてこの日のレッスンは

対比させて気づきを与えてくれている。

どちらを選択しますか?と。

 

見たいと自分が思っているから「それ」は目の前に見えてくる。

勝手に見えるのではなく、私は選択している。

 

だから「私とは何か」を常に思い出して、その「私」を思い出してから選びたい。

 

赦しを、いつも選択できますように

 

ありがとうございます

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レッスン350 0704

Dear聖霊さん

レッスン350

奇跡は神の永遠の愛を鏡のように映します。

奇跡を差し出すことは神を思い出すことであり、神の記憶を通してこの世界を救うことです。

Miracles mirror God’s eternal Love.
To offer them is to remember Him,
And through His memory to save the world.

 

『…「あなた」をおもいだせるかどうかは、彼のゆるしにかかっています。

彼の本性は、彼の考えによって影響されることはありません。

けれども、彼が見るものは彼の考えの直接の結果です。…』

ーーーーーー

この「あなた」は神様。

「彼」とは、私も含めて人間の誰かのこと。

 

彼という存在の本性は、彼の考えなどによって左右されることはなく、神様が既に決めている。

すべての存在の本性は、神の子として存り、それしかないのが真実。

 

けれど、私たちが「見るもの」、見えているものは、肉眼を通し、その存在が考えていることを通して、「見えて」しまう。。。

 

だからこそ、私たちは一旦、自分が「こうだ」と信じていることを棚卸しして、それは「誰が」思っているだろう。。と、立ち止りたい。

 

「奇跡」は、私たちの「こうだ」という思考の訂正。。。

 

永遠の愛は、神様であり、本当はそれしかないことを認める、、ことを思い出す。

 

この世界では、私ひとりでそれを行うには、難しいし出来なくて。。どれが神様の本性の計画かはエゴにはわかりにくいから、まずはそれを認めるしかなくて。

 

目の前に見えること、起こり来ることは、いつもそれを思い出させてくれるチャンスとして、私の中の思いを鏡のように反映して起こってくる。

 

それを「聖霊の視点」で使っていただけるよう祈って奇跡にシフトしたい。

 

この世界で何か起こっているように感じる時こそ、特に。。

私の中からそれを「起こることで見つめてみて」となっているから。

 

起こりくる「何か」をいつも赦せますように

 

お導きありがとうございます

 

 

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レッスン349 0703

Dear聖霊さん

レッスン349

今日、私はキリストのヴィジョンに私に代わってすべてのものを見させ、それらを価値判断せずに、それぞれに愛の奇跡を与えます。

Today I let Christ’s vision look upon
All things for me and judge them not, but give
Each one a miracle of love instead.

 

ーーーーーー

『…父よ、あなたの贈り物は私の贈り物です。

私が受け容れる贈り物の一つ一つが与えるべき奇跡を私に与えてくれます。

そして、私が受け取るのと同じように与えることによって、私はあなたの癒しの奇跡が私に属することを学びます。…』

 

 

本当は私たちは、それぞれが別になっているわけではなく、ひとつとしての存在。

バラバラになっているわけではなく、繋がっている。

分かれたこともなく、今も変わりなく

神の子として神と共にいる。。。

 

という一元論的な真実の世界には、

奇跡は必要はない。とのこと。

けれど、今ここで幻のワールドにオンラインゲームのごとく在るとしている状況では、

「奇跡」は真実への手段にもなる。

 

本当はひとつなら、私に見えている目の前の方に差し出す愛は、私にも同時にひろがっていく。

奇跡を差し出したなら、私にも奇跡がある。

そして、奇跡は私が行うのではなく、聖霊が行う。

私はそれを聖霊に祈るだけ。

信頼するだけを

そして、聖霊は依頼を断ることはなく、完全な状態をそこに現す。

なぜなら、それが本来の状態だから。

 

奇跡に難しさの序列はない。

幻を否定し、真実へと通り抜けること。

私(たち)が、

こんなことに奇跡は起こらない、あるはずがない、これに、奇跡は必要ない、、と価値判断してしまっているだけで、いつでも本来の場所、本当の姿に戻っていいんだった。

そして

神は聖霊は、愛のみの存在であり、私たちの真の姿も愛のみ、だそう。

このレッスンを通じて、そのことを思い出す機会をもたせてくれます。

 

「奇跡は訂正。」と解説にあった。

奇跡を、特別な特殊なものと価値判断をすることなく、赦しを通じて、誤って信じてしまったこと、概念に気づきたい。

本当に実在するものなのか、

本当はないものなのか。

苦しみたいのか、手放したいのか。

それは私が私を「どんな存在」とみているのかを。

 

そして、ひとりで価値判断を決めることなく、自分では(神の計画がどうなることが本当か)わからないということを、認めて、聖霊とともに見つめていきます。

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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