DEAR 。。Holy Spiritさんへ

奇跡のコース〜A Course In Miraclesを学んでいるブログです。

解脱の真理 の本

Dear聖霊さん

奇跡のコースワークブック

最終課題をしばらく続けることにしています。

といっても日々を普通に生活している気もします。

 

課題。

これがあることで指針となる。

でも

これがなければどうにもならない。

というのであれば、

ワークブックの最終課題は

とらえられていない気がして。

 

今回は4周目に行く前を

少し間をとっています。

 

その間に、長尾先生を師事していた時に

購入していた本

「解脱の真理」を再び読み始めました。

 

奇跡のコースを学んでから読むことで

「そうか!」

といろんなところでコースでの真理と

ここにある真理とがリンクして

まさに聖霊さんに導いて頂いてるきがします。

 

その中で何度も、

「この私が解ったと思っていることは概念であり、実在ではない」

というようなところがあって、

私が今でも、「概念」「思想」として奇跡のコースをとらえていたのでは?

と振り返りました。

 

「今」何を選択するか。

聖霊とともに、

それは「本来のわたし」とともに。

神のお造りになられた「本来のわたし」を

選択する「今」であるかどうか。

それを見つめる

 

 

手放す。

 

それは一切を手放す

というシンプルな

たったひとつのことなのだけれど、

それをずっとあらゆるところで

「今」あるかどうか。

忘れずにいたいです。

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

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解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え

解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え

 

 


 

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最終課題361〜365 0715〜0719

Dear聖霊さん

レッスン361〜365

聖霊

この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に

平安をもたらすと確信しつつ

私はあなたの後に

ついていきます。

 

This holy instant would I give to You.
Be You in charge.
For I would follow You,
Certain that Your direction gives me peace.

 

ーーーーーー

最終レッスン序章

最後のレッスン|『奇跡のコース』ワークブック 365日

 

0719は

レッスン365の日として最終日だった。

にも関わらず、日常生活に埋もれていた。

この最終レッスンに入り、懐かしい心友と会った。

その友は正に聖霊とともに在る人なのだ。

ひとつひとつの会話や、人に対する接し方、そしてずっと積み上げてきたものも。

なので、この最終レッスンをこのように日々にいかして生きていけばいいんだなぁと。

その心友に会えたのも、聖霊のお導きだと感じる。

 

この最終レッスンは最終とあるけれど、はじまりだともある。

この3周目のワークレッスンは私の概念を大きく変えて、しかも安らぎと喜びを多分に与えて、受け入れさせてくださることになった。

 

ワークレッスンはまた最初から始める。

けれど、しばらくはこの最終レッスンを続けるつもりです。

 

不安のない瞬間瞬間。

そしてガイドのある旅。

 

いつも本当にありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。

 

エピローグ |『奇跡のコース』ワークブック 365日

 

 

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レッスン360 0714

Dear聖霊さん

レッスン360

神の神聖な子どもである私に

安らぎがありますように。
私と一つである私の兄弟に

安らぎが訪れますように。
この世界の全てが私たちを通して

安らぎで祝福されますように。

 

Peace be to me,

the holy Son of God.
Peace to my brother,

who is one with me.
Let all the world be blessed

with peace through us.

 

ーーーーーー

 

ワークブックレッスンをするのは、3周目になる。

つまりレッスン365までをするのは、今回で3回目だ。

 

361〜365までは、「最終課題」と位置づけられ、

5日間同じレッスンを行う。

それだけ重要で、

それだけイエスが私たちに取得してもらいたいことなのだろうなーと思っている。

 

この日のレッスン360は、

そんな最終課題の前。

いわば、通常レッスンの最後ともいうか。

 

レッスン360は、祈りに満ちている。

もちろん第2部全般をはじめ、「私とは何でしょうか?」の10日間は、祈りの言葉だらけだったけれど。

 

この日のレッスン360は

これからの日々の世界を祝福する言霊として、唱えたいフレーズに感じる。

 

 

「神の神聖な子ども」である私。

それを受け入れる。

 

私は神聖。

それは特別なことではなく

他との優劣でもなく、

肉体という形を超えて、

深く命を見つめた時。

 

誰もがその命という形なきもの

例えようもないもの

全てを理解していないのに、

何故か持っているものーー

そして、誰もが持っているものーー

 

その誰もが共通の命を

私と見た時

みんな差はなくなる。

 

時間の概念を超えたものが

命。

肉体の中に入っている訳ではない、

と奇跡のコースでは述べている。

 

例えるのなら、

オンラインゲームをしている私が、

とても良くできたバーチャルな

イリュージョンゲームで

キャラを動かしている感じ。

 

そして

そのゲームはとても悲惨な感じでないとダメ、みたいになって、入り浸ってしまって、そのゲームの中にいることが本当のように錯覚してしまって、、、

あ、そんな映画があったなぁ。。

インセプション

知れば10倍好きになる!映画『インセプション』のトリビア - NAVER まとめ

マトリックスもそうだけど、この映画も何度観ても、面白くて私の中の壁の概念を霧のようにしてくれた。

 

私は、他人がいると思っている。

私とは違う存在がいると思っている。

 

そう思っているところから、

それでも

私と同じく平安であることを祈る。

 

そして私は

世界があると感じている。

世界が私に影響を与え、

世界があるから私があると思っている。

けれど、

世界は私から生まれる。

私の中にある概念が

私の肉眼をとおして見る

私の中の概念の信じている幻。

 

そう思っているところから、

それでも

そこに安らぎの祝福を祈る。

 

それを選択する。

そうあることを赦すレッスン。

 

 

とても心地よいレッスン。

最終課題の前の

祝福に満ちたレッスン。

 

いつも感謝に満たされる。

こんなふうに素晴らしいレッスンを

作ってくださったイエスに。

。。。まだ最終課題が残っているけれど、

とても心地よい感覚になってくるのだ。

 

ワークブックに取り組んで良かった。。

と思う瞬間なのだった。

本当に目覚めたのなら、このワークブックレッスンさえ、必要なくなるのだけれども。

 

ありがとうございます

 

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レッスン359 0713

Dear聖霊さん

レッスン359

神の答えはある形をとった安らぎです。
すべての苦痛は癒され、

すべての非惨は喜びに取って代わられます。
すべての監獄のドアが開かれます。
そして、

すべての罪は単なる間違いであることが理解されます。

God’s answer is some form of peace.
All pain Is healed; all misery replaced with joy.
All prison doors are opened.
And all sin Is understood as merely a mistake.

ーーーーーー

 

「監獄のドア 」 というフレーズを聞くと、昔に友だちにしてもらったカードセッションを思い出す。

その私のひいたカードは、

檻の中に入っている自分が、鍵は開いているのに、鍵が閉まっていると思っているのか、出ることを躊躇しているのか、

檻の内側にいて、出口の外の豊かな景色を眺めている、、、といったような内容だった。

 

本当は開いているし、いつでもそこから出れるのに。

もしかしたらそんな檻なんて幻かもしれないのに。

囚われている。

外の眩しい景色の中に出ると決心するのは、私。

そして、

出ていいんだよ、怖くないんだよ、本当はそっちがあなたの在るところなんだよ、

檻の中にいる必要はないし、その檻も本当はないんだよ。。。

と記憶喪失になっているワタシを、優しく励まして促してくれるガイド。

 

聖霊さん、ありがとうございます。

 

監獄に入ったのは、自分を責めたから。

罪を感じてしまったから。

どこかでいつまでも残る責める気持ちが、まとわりつくみたいにあって。

 

でもガイドは告げる。

間違ったのかもしれないけれど、

それは消しゴムで消すように、

習字で書き間違ったら、新しい紙を出して書き直すかのように、

エレベーターのボタンを押し間違えたら、もう一度押し直すかのように。

あるいは、iPhoneでメール文章を書いて、その文章がおかしいな?と思ったらサッと消して書き直すみたいに。

 

間違ったら選択を変える。

それが私たちのすること。

 

選択を変えて、ガイドさんを聖霊さんにし直したなら、平安と喜びがセットになっている。

ハッピーセット だなぁ。フフフ。

 

赦し。

 

『…私たちがゆるせるように助けてください。

というのは、そうすれば私たちは救われるからです。

私たちがゆるせるように助けてください。

というのは、そうすれば私たちは安らぎを得られるからです。』

 

ありがとうございます

 

 

 

 

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レッスン358 0712

Dear聖霊さん

レッスン358

神に対する呼びかけで

聞こえない呼びかけは一つもなく、
応えられないままにされる

呼びかけも一つもありません。
そして、私は次のことを確信しています。
神の答えは私が本当に必要としている答えです。

No call to God can be unheard nor left Unanswered.
And of this I can be sure;
His answer is the one I really want.

ーーーーーー

私たちの呼びかけには必ず答えてくれる。

答えてくれている。

それを聞くととても安心する。

 

けれど私たちは何を求めているだろう。

 

『私が本当は何であるかを知っておられる「あなた」だけが、私が本当に何を望んでいるかを覚えておられます。』

 

ここでの「あなた」は聖霊

私たちのうちにある、神様と通じているところ

そこで神様が私たちに与えているものを、私たちに思い出させようと働いてくれる。

 

『私が知らないすべてのことを私に思い出させてください。

そして、私が思い出している間、私の声を静かにさせてください。』

 

「ここに住んで存在していると思っているところ」は、本当に存在しているところではない、と奇跡のコースではいう。

でも、「その存在していると思っている世界」で必要なことやものをなどに夢中になってしまっている。

だから、その世界の様々なものを求めているのが現状になる。

 

でも「本当に何を望んでいるか」は、それらの表面上に求めるものではなくて、神様とも通じている私たちのうちにある存在ーー「聖霊」が保持してくれている。

 

このレッスンでは、本当に求めていることを求められるようにレッスンする。

それは、私の考えている「私」がどこにあるのか確認することになる。

エゴとともにある「私」なのか

聖霊とともにある「私」なのか

 

この前のレッスンにもあったけれど、

それには「ゆるし」が関わってくる。

 

このレッスンでもゆっくりと選択することを思い出せますように

 

 

 

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レッスン357 0711

Dear聖霊さん

レッスン357

真実は私たちが「神」にする

すべての呼びかけに応え、

最初に奇跡をもって反応し、

それから、

私たちのところに戻ってそれ自身でいます。

Truth answers every call we make to God,
Responding first with miracles, and then
Returning unto us to be itself.

ーーーーーー

 このレッスンでは、イメージしやすいように順番のように書いてくれている。

この前のレッスンでは、「私たちの呼びかけには必ず答えてくれている」ことを書いてくれていた。

私たちが答えを受け取るかどうかだけれど。。

 

そしてこのレッスンでは、その呼びかけによってどんなふうに現れるかを示してくれている。

 

『真実の反映であるゆるしは奇跡の差し出し方を私に教え、かくして、私がその中に住んでいると思っている監獄から脱出する方法を私に教えてくれます。…』

 

ゆるし。これがキーワード。

この「住んでいると思っている監獄ーー今いるこの世界」では、私たちのすることは「ゆるし」

 

「ゆるし」の思いがない時は、聖霊をガイドに選択できていない。

「ゆるし」は、聖霊に委ねるということにもなる。

 

私たちが住んでいると思っている世界は、沢山の人がいるようにみえる。

様々な人が私と違っているように思える。

けれど本当は私たちはひとつの存在としてある。

だからこそ、「ゆるし」が必要になって、

その「ゆるし」があるからこそ、「奇跡」がある。。

 

それだけ、「ゆるし」に意識をしないといけないくらいに、「ゆるせてない」んだろうなぁ。。

 

『彼の無罪性を見なさい。

そうすれば、あなたは癒されるでしょう。』

 

 

 

自分自身も「ゆるし」に含まれる。

 

ひとつひとつの気づきをていねいに

見つめる時間をとることができますように

お導きありがとうございます

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レッスン356 0710

Dear聖霊さん

レッスン356

病気は罪の別名に過ぎません。
癒やしは神の別名に過ぎません。
従って奇跡とは「神」に対する呼びかけです。

Sickness is but another name for sin.
Healing is but another name for God.
The miracle is thus a call to Him.

ーーーーーー

 このレッスンタイトルだけみると、病気は罪?!となるかもしれない。

真実に在る世界は、神のみの世界。

罪というものはない世界。

無罪の世界。

病気。それを「在る」見ている、見えてしまっている私の中に、「神でなく罪がある」という概念がある。

ここでの「私」は、ひとつとしての、人間全体でもあるけれど、まずは、「私」が病気になり得る、と信じていることがわかる。

そうはいっても、まだまだ見えている。私は病気を見つめている。それを西洋医学や東洋医学、ヒーリング。。。いろんな概念をベースにして、なんとか理解し、それがあることを自分の中に位置付けようとする。

一元論の世界では、それはありえないけれど、ここにいると信じている私には、そこから離れられるような過程がいる。

 

 

それでも今日のレッスン解説では

『…「あなたの子ども」がどこにいるか、何が彼の問題であるように見えるか、彼が何になったと信じているかは問題ではありません。

彼は「あなたの子ども」であり、「あなた」は彼の呼びかけに応えられます。

奇跡は「あなたの愛」を反映しており、したがって、奇跡が彼に応えます。

「あなたの名前」は罪についてのあらゆる思いに取って代わり、罪のないものが苦痛を味わうことはありません。…』

 

どんな状況にいると私たちが信じていたとしても、神は私たちの呼びかけに答えてくれる。

 

それはとても心強いです。

ありがとうございます

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